室町時代の院宣

次に〔二八二〕は文明元年四月廿八日、後花園法皇から広橋兼宣がその子兼顕に記録文書家領等を譲与したことを御許しなさる為に出したものである。かように室町時代にも院宣が出ているが、院宣上皇法皇院政を行わせられた時に、別して多く出されたものである。とのことです。