円覚寺の開祖子元祖元が来朝

文章は前の良経の書状とは全く異なって、漢文体である。この招聘に応じて翌二年六月渡来したのが、円覚寺の開祖子元祖元(仏光国師)である。この文書は右の要件を両僧に伝えた書状であるが、両僧がこの使命を果たし祖元が来朝し、時宗が之に帰依したのであるから、この書状は云わば時宗が祖元に対して師檀の交を結んだ契状となったものである。とのことです。