夢想の告を介して厳島神社への参詣と寄進が行われた

御示覧とあるは、業長が夢想の告を受けたことで、之に依って神領を寄進したものである。翌々安元二年七月に安芸国司から右の寄進を承認せる旨を留守所に伝えている国司庁宣が、厳島神社所蔵文書の中にある。之に依って右の寄進の事情が判る。然し清盛の参詣に就いては、他に所見を欠いている。この参詣と右の寄進とは、夢想の告を介して何か関係があったものと想像せられる。とのことです。