薩摩国守護島津氏の代官酒匂本性

その後前述した異国警固番役は、この石築地を中心にして行われたものであった。石築地も年月を経ると破損を生じたので、随時之が修理を行った。右の文書は薩摩国御家人延時三郎入道が、之を負担し、之が出来したので、同国守護島津氏の代官酒匂本性が、之を認知した旨を本人に伝える為に出した文書である。この石築地の修造を分担した一国の地頭御家人が、その石築地に依って警固番役を勤める制規であった。薩摩国分担の警固番役は、箱崎方面の石築地に依って勤仕していたのである。この種の文書をも又請取と称している。とのことです。