又右に類する文書を守護の代官が出していることもある。
石築地修理事、三丈貳尺延時名分、被勤仕候了、恐々謹言、
正安四
八月廿六日 本性(花押)
延時三郎入道殿
文永十一年の蒙古襲来合戦に於ける経験の結果、翌々建治二年敵勢の上陸を防禦する為に博多湾沿岸の要所に石畳を築き、之を陣地として防禦を図ったのである。この石畳を当時石築地と云い、鎮西九箇国の地頭御家人等がその所領一段に就き石築地一寸の割合の負担で、極めて迅速に築営したものである。果たして次の弘安四年の異賊襲来の時には、この防禦陣地があったために敵勢の上陸を防止し得たのであった。とのことです。