文永十一年蒙古襲来合戦

次に守護人が直接事を伝える為に出した文書も伝わっている。左の図版に示したものはその一例である。

(略)

この文書は、文永十一年蒙古襲来合戦後に於いて、前述した博多湾沿岸の異国警固番役の制規が変改されたが、豊後守護大友頼泰が之を筑後国御家人野上太郎に伝えたものである。之に依ると一箇月づつ三回、年に三箇月、各御家人交替にて番役を勤める制規となったのである。尚、病気の折には子息を代官に立てること、異敵の襲来のことがあれば、在番中で無くても即時出陣すべきことをも命令している。とのことです。