実朝の歿後、未だ関東の主が定まっていない時期の文書

実朝の歿後、未だ関東の主が定まっていなかったから、鎌倉殿の仰せに依って云々の奉書を出さず、義時が上意を受け、之をその下位にある者に命じて奉書を出さしめた形式をとることとなって、右の文書が現れるに至ったと考えられる。とのことです。