蒲生氏郷から伊達政宗に充てた覚書

次に〔四六八〕は、(天正十八年)十一月十五日、秀吉の奥州平定後、会津に封を受けた蒲生氏郷から、同じく米沢に封を受けた伊達政宗に対し、秀吉の奥州処分に不満を抱きたる大崎葛西両氏旧臣等が起こせる一揆平定の方策等に関し意見を伝えた覚書、当事者の間によく事情の判っていることに就いて取り交わす文書である為、その一つ書の文面は、この覚書の如く極めて簡略で、その意味の解釈に困難を伴うものが少なくない。とのことです。