足利義氏が鑁阿寺供僧に充てた禁制掟書

第二種 禁制・掟書

かかる形式を具えた文書は、右二通の文書の時代に限るかと云うに然らずして、〔四六九〕に挙げたものは、宝治二年七月六日、足利義氏が、下野足利の堀内大御堂即ち鑁阿寺の供僧等に充てたもので、正にこの部類の形式を具えている。大御堂の四壁、即ち境内に幼童が侵入して之を汚し、市人がここを往来して牛馬を放入することを禁止し、之が取締に承仕下部を充て、この承仕下部は猥りに境内外に出でて監視を怠れば、寺内から逐放の科に処する由を示した、謂わば禁制掟書の一種と見るべき文書である。