甲信地方は武田流、関東地方は北条流

次に奉者の傍に書く「奉之」の二字も、北条武田両家で相違している。北条家は始めは奉者の名を書いた左右両方の傍に書いたが、後には必ず右の傍と固定した。先に挙げた陸奥安房守両名の場合でも、右側の人の右の傍に書いてある。之に引きかえ武田家は必ず左の傍ときまっている。かように上下、左右、北条武田両家の文書は、対称的に相違を現している。この両家に倣って甲信地方の小大名は武田流に、関東地方のものは北条流に倣っている。之を当時に於ける武家文書に現れた地方的特色として明確に知ることができる。とのことです。