一通なりとも疎かに扱うことはできない

雑訴決断所は、いつ設けられたか、正確に知るべき史料に欠けている。初見は、〔四一〕雑訴決断所河内国国司(沙汰居は、沙汰しすう)で元弘三年十月八日附であり、十月初旬以前に設けていたことがわかる。

しかし一通でも日附の早いものが現れれば、それだけ遡って考え得るのである。

かやうな點になると古文書の傳存の一事が非常に重要性を持つて來るものである。一通なりと雖ども疎かに扱ふことができないことを知るべきである。