国司の庁宣と政所下文とが合わさった形式

〔九五〕に挙げたものは、治承五年二月廿日、大神宮司庁から伊勢度会郡内の神領はじめすべての諸荘園等から水手船舶を徴発して、尾張国墨俣に向かわしむることを、同郡内の検非違使に命ずるために出した庁宣と申す文書であって、国司の庁宣と、政所下文とが合わさった形式をとっている。なお神宮の印を捺した庁宣もある。

次に〔九六〕に挙げたものは神社の政所下文の一例で、久寿三年正月廿五日、鴨御祖大神宮政所から、社領摂津国長洲御厨などに、東大寺領猪名庄を新たに設定する公の證文をつくることに就いて妨げを致すことなく、また東大寺に納むる所當を未進せざることを命ずるために出した下文、とのことです。