藤原氏の学校勧学院政所の下文

ろ 勧学院政所下文

〔一〇二〕に挙げたものは、文治二年十二月五日、藤原氏の学校勧学院の政所から、僧尋珍という者をして、大和国石井庄に安堵せしめるために、同国葛下忍海両郡司ならびに石井庄司に向けて下した下文である。勧学院藤原氏の学校であり、其の長者が管掌していたが、その政所は氏の社寺春日社興福寺等のことを掌っており、石井庄が春日社領であったところから、その庄のことに関して政所下文を出したのである。書止めに近い例文に、長者宣とある長者は、関白九条兼実に当たる。長者の宣、すなわち仰せに依って、この下文を下したのであるから、この下文を長者宣と称している。書式は他の政所下文と少しも異なるところはない。とのことです。

 

位署の書き方、令外官は捧物(ささげもの)といい、最初に挙げる。数官を兼ねるときは、文官、武官、外国、四等官の順序に次第する。左中辨は文官、阿波介は外国四等の第二等官である。