社寺の政所以外の機関から出された下文

以上は社寺の政所から出した形式の下文について記したのであるが、なお社寺に具ってその寺務を執る他の機関からも下文を出している。〔九九〕に挙げたものは、宝治元年八月廿六日、東大寺の年預所から、同寺領美濃国大井庄の前下司奉則という者を庄内から追い払うために、同庄の百姓に向けて下したものである。これは年預所からであるが、なお同寺公文所からも同じ形式の下文を出している。

〔一〇〇〕に挙げたものは、寛元二年十月東寺検校三綱が、比叡山薬師法阿闍梨實傳の後任として、阿鑁という者を補任するために出した下文で、書出しに東寺とのみあって、上記各所の下文とやや形式を異にしているが、恐らくこれも下文と称していたかと思われる。とのことです。