社寺政所の庄官補任の下文と将軍家政所の地頭補任の下文

〔九八〕は承暦三年十一月廿三日、東大寺政所から、大中臣清則という者を、同寺領美濃国大井庄別當職に補任するために下したものである。庄官補任の下文としては早い例である。庄園の本所領家この一部に社寺も入るのであるが、これらと庄官との関係が右のごとき下文でよく分かるが、かように政所の下文で庄官を補任する形式は、やがて鎌倉時代武家幕府において、将軍家の政所から地頭職を補任する形式と同様のものである。右に例示した東大寺政所の大井庄庄官補任に関する下文は、承暦三年のものをはじめとして、鎌倉時代中期ごろのものまで伝わっているが、これらの下文は、鎌倉時代における将軍家政所の地頭職補任の形式と比較研究する上において、極めて興味ある資料となるものである。とのことです。