信長が右大将だったときの女房奉書

中世に至って甚だしく荒廃したが、ここに漸く復興を見るに至ったのである。文中信長を右大将と書いているから天正三四年のことである。この女房奉書は可成り長文であるが、二行づつ上下高さを違えて書き連ね、散し書きの式をとっている。とのことです。