将軍足利義教の御内書

〔四三四〕に挙げたものは(永享五年)閏七月八日、将軍義教が筑前守護渋川満直をして、阿蘇惟郷に忠節を尽くすべきことを促さしめるために出したものである。京都から九州へ遥か遠方に送ったためであろう、鳥子の切紙を用いている。この封紙は存していて、折封の形式である。この御内書は完全な形を具えている。とのことです。