充所、捻封のうは書に両名を一行に表す

なお六波羅探題充初期のものの後、他に之と同じ書き方のものがあるかと探索するに、偶々金澤文庫所蔵古文書の中に、(嘉元三年)閏十二月二十四日附、長井貞秀が稱名寺の戒圓房并に明忍房(釼阿)の両人に充てた書状があり、その端裏に記した捻封のうは書に、戒圓御房明忍御房と両名を一行に表したものがある。但し、之は封の上書であって、本文の方の充所は両名を横に二行連記している。兎に角奈良時代に行われていた両名の宛名縦一行に書き表す方法が鎌倉時代の末期迄行われていたことを知るのである。とのことです。