北条氏分国内の一里は六町一里と推定される

この伝馬手形は、北条氏が相模高座郡當麻宿の年寄関山氏に下したものである。この手形を持参して、小泉から當麻までの宿駅をして、伝馬一疋を仕立しめることができた。一里一銭と云うのは、一里に付一銭の割合の伝馬賃と申すことで、除くとは之を免除する意味である。北条氏分国内の一里は六町一里であった、かような事実をこの伝馬手形等から推測することができる。甲斐武田氏の領内駿河に一里六銭の割合の伝馬賃があり、それと対比して、右の様に推定し得るのである。とのことです。