立后節會の廻文

〔二一四〕は、元応元年閏七月、立后節會に出仕すべき由を、史に触れた時のものである。この触れを受くべきものの名を始めに書くのが、この種文書のきまりである。而してこの各々の名の下に返事を書くととなっている。「奉」とあるのは承諾せる意味を表しているのである。とのことです。