戒光寺・東大寺両者への廻文

〔二一五〕は、康永三(興国五)年三月十八日文殿から伊賀国内保庄に関する相論の訴論両者たる戒光寺東大寺とに向かって、出頭を促す為の廻文である。東大寺の返事は、京都に出京している雑掌が書いたものであろう。その下に文書を持参せよとの事など、重書にて奈良においてあるから、急ぎ持参するよう南都に通知するとのことが、返事として書いてある。とのことです。