藤原氏長者の出す是定宣

  に 是定宣

橘氏の長者は、その氏の学校学館院の別当に当たり、又氏社等を管理したのであるが、平安時代の中頃から、その勢力衰え、藤原氏の長者がその位置を兼ねることとなった。このときには藤氏の長者を是定と云い、その人から出す奉書を是定宣と称した。