吉川経家の自刃

此後三カ月よく城を守ったが、遂に力尽きて、経家が籠城の将士に代わって自刃して開城し、侍の面目を汚すことなく、名誉を後の世に伝えたのである。この書状の他に、城中の情況を詳細に記して、家臣に伝えた書状も伝わっているが、この書状は経家自ら筆を執ったもので、子息に対する一つの遺言状ともなったものである。とのことです。