武田信虎が操石という僧侶に送った印判状

更にこの部類に入るもので、本文書止めの異なったものとして、〔五〇八〕に挙げた如きがある。これは武田信虎が操石と云う僧侶に送った印判状で、日附は七月廿九日とあり、袖に鍔形重郭の中に、信虎の実名を印文とした黒印と、正圓重郭の中に獅子の像を彫んだ朱印とが、上下を少しく重ね合わせて捺してある。二印を一文書に捺し或いは重ねて印を捺したことに就いては既に説いてある。この印判状の本文書止めは、「何々也」で終わっている。余り例が多くないので、之が如何なる程度の書礼を表しているものか、的確に判断を下し難い。然し兎に角袖に印を捺したものでも、「如件」と「何々也」の両様の区別のあったことは明らかである。尚以上挙げた例は、偶然武田家の文書計りであるが、この類の印判状は同家のものに限ったものではなかろうと思われる。とのことです。