〔五七二〕は筑前福岡の黒田長政の出した一例である。之に捺してある印は、黒印で、印文が Simeon Josui とローマ字で表してあるから、その父如水(孝高)のものを襲用していたのである。父子印を襲用することは既に東国地方の諸大名に見るところであったが、九州地方に於いてローマ字の印を襲用していることは注目に値する。長政は自から作った同じくローマ字 Kuro NGMS を印文とした朱印をも用いているが、その前に右の印を用いていたのである。印の襲用から見ると、印文とその人との関係が密接不可分のもので無かったことを示すように思われる。とのことです。