足利将軍家最後の袖判下文

ただし、直義の下文には所領安堵に限らず、他の場合のものもあった。尊氏のものに至っては安堵の場合のものはまず現存していない。また直義の下文の書式は、最初からここに説いている書式の下文を出したのでは無く、直義の地位の向上するに従って、この書式の下文を出すに至ったのである。これに就いては更に後項に於いて説くであろう。

 二代義詮三代義満も引き続きこの式の下文を出した。〔一三五〕に挙げたものは、応永九年四月五日附、義満から進士氏行に、旗指の賞として美濃国厚見郡内井口の知行を与えるために出した下文であるが、これが義満のこの式の下文の最後のもので、また足利将軍家の最後のものである。この後には、将軍家御判始めの吉書として出す下文に、この式を取るものがあるばかりで、随時出る下文としてはこの式は廃れるに至った。とのことです。