正親町天皇と皇子誠仁親王

尚お御消息の文書の一例を挙げる3と〔二六二〕の如きものもある。天正八年閏三月、禁裏よりも御斡旋のことあって織田信長と大坂の本願寺とが和睦をしたが、この時正親町天皇の皇子誠仁親王も御尽力なされ、本願寺光佐に和睦の上は、更に大坂を去って、紀伊国雑賀に退かれんことを勧められる為に出し給える御筆の後消息である。御差出所に御花押を署せられているが、本文は散らし書きで宸筆の御書、或いは宸筆の女房奉書と略々同じ書式を具えている。御書風の上に於いても正親町天皇誠仁親王との間には頗る似通わせ給える趣を拝し奉る。とのことです。