大友氏の書札礼は一般と大いに相違

第五種 官途書出

更に〔四七四〕に挙げたのは、天文廿四(弘治元)年閏十月三日、豊後の大友宗麟が、筑前博多の神屋亀菊に四郎左衛門の仮名を許す為に出したものである。前陳の官途の書出しの一種類である。大友氏の此種の文書は、鄭重な書礼を伴うことが後項判物の項に述べてあるが、之はそれに比較すると極めて疎略な書き振りと云うべきである。然し大友氏の書札礼は一般と大いに相違するところがあるから、遽(にわ)かに之を鄭重な書き振りでないと断定し難いであろう。とのことです。