左半右半を交互に用いて幕末まで続いた徳川将軍家の伝馬の印

この印の区別に依って、手形を発行した所を明確に区別し得たことは勿論である。この手形の印影について調べた結果、右半を家康が、左半を秀忠が用いていた。その後幕府の伝馬の印は変わること無く、秀忠の次の三代家光は、嘗て家康の使用した右半を襲用し、爾後将軍の代が代る毎に左半右半を交互に用いて幕末に及んでいる。三代家光以後、将軍家の印は何ら変化を見ず全く固定したが、伝馬の印に於いても同様であった。之は戦国時代に盛に用いられた印が、江戸時代初期に至って漸く発達が止まった一般的の傾向を示すと云うべきである。とのことです。