天正三年上杉謙信が佐竹義重に送った条目

右に挙げた印判状の本文書止めは、皆「如件」となっているが、かかる書止めを具えていない条目、条書と云うものに、この部類に入るべき印判状が多くある。これにも重要な史料となるものが少なくない。今その一例として図版に示すと上の如きものである。

(略)

この文書は、天正三年上杉謙信が、常陸太田の佐竹義重に送った条目である。前掲文書の説明の如く、北条氏政関宿城を攻落し、古河公方藤政を自殺せしめ、次いで常陸下野の諸城を攻めたが、この謙信の条目は、氏政が下野の小山秀綱を攻めるに及んだので、義重と共に秀綱を援けんとして、その出勢の手筈を打合せるために出した条目である。とのことです。