北条氏邦が領内の開発奨励の条目を示した印判状

氏政が後年隠居して当主氏直の後見の地位にあった時同様な印の用い方をしている。此等の事実に依って虎ノ印判が当主の権威の表徴と考えられていたことがわかる。又〔五二〇〕は武蔵鉢形城主氏郡(邦か)が、その領内榛澤郡荒川郷の新田開発後検地を行い、知行の貫高を定め、更に開発奨励の条目を示した印判状で、日附の行に氏郡(邦か)の朱印が捺してある。とのことです。