紛失状の四つの実例

説明ばかりになったので、少しじっくり文書と向き合いましょう。

紛失状の一は、紀姉子という老女と養子のあいだでトラブルがおき、養子が質にいれた文書は證文といたしがたい旨を示すために作られたものでした。

紛失状の二は、河内国金剛寺の阿観が大事にしていた文書を尼覚阿が取り出してわがものにしていたので、その返還を求め、応じない場合は、金剛寺にある案文を正文とすべきとしたものでした。佐藤進一『古文書学入門』ではp.16に出てきます。

紛失状の三は、金峯山吉水院の文書です。大塔宮護良親王が退かれたのち賊軍に焼き払われたので、文書が焼失したために作られたものです。文書所載の領地が、大和河内両国にあったため、大和は興福寺一乗院僧正坊に、河内は同国守楠木正成に尋問し、それぞれ請文を得たとのことです。

紛失状の四は、播磨国矢野庄別名下司職にかんする紛失状です。新田義貞播磨国白幡城に赤松則宗を攻めたときの合戦で、證文が焼失したので、作られたものです。

紛失状の項を閉じるにあたり、著者はこう述べています。

文書の文面のみを平面的に取扱はず、文書を物自體として立體的に観察するところに、自から新しい史實の發見があるものと信ずる。(p.56)