母松下禅尼の仰せを奉った北条時頼の珍貴な下知状

次に幕府探題奉行以外の者から下知状の式で出したものに、左の如き文書がある。

 

 可令早平清度致沙汰丹波国野口庄内牧外方下司代職事、

右以人為彼職、任先例可致沙汰之旨、依尼御前仰、下知如件、

   寶治二年八月八日

             (花押)(北条時頼

 

上の図版は、北条時頼が尼御前の仰せを奉って出した文書である。平清度と申す者を丹波国野口庄内牧外方下司代職に補任する為に出したもので、書式は前述の下知状と同様のものとなっている。尼御前と称するのは、時頼の母松下禅尼に当る人であろう。禅尼が右の下司職を持っていたので、その代官職を補任したのである。時頼が母禅尼の仰を奉って出した下知状であり、主格と奉ずる者とが、母子の間柄にある文書として頗る珍貴なものと云うべきである。とのことです。