佐藤進一氏著「鎌倉幕府訴訟制度の研究」に據る

又この式の下知状は、鎌倉幕府の奉行人も出している。〔一八七〕は、正安元年六月七日、侍所が小早川定平と同一正丸頼辨との鎌倉番役に関する相論の裁許状として出したもので、その一例として挙げることができる。又〔一八八〕は、正嘉二年十月十八日大隅国守護人名越時章御家人佐多宗親と其の兄親綱との相論を裁許する為めに出したものであるが、同じく書止めに、下知如件とある。更に〔一八九〕は、文保三年正月卅日、秋田時顕が守護人として出したか否か明かでないが、裁許状の一例で、同じ書式をとっている。とのことです。

〔一八七〕については、

この裁許状、侍所のものなること、佐藤進一氏著「鎌倉幕府訴訟制度の研究」に據る。

という註がついています。