必要に応じて種々形態が変化する書状

切りさいた者は長政か或いは使者か判明しないが、兎に角切ったものを広家の許に送致した事は明瞭である。家康の書状をそのまま送致せず、更めて別の文書の裏面に書き、又その書状の料紙を数片に切断して送致したのは、恐らく当時畿内にあって西軍の将士の間に交じっていた広家の許に送るのであるから、その途中の危険を慮って講じた手段と思われる。要するに文書は必要に応じて、種々その形態に変化を生ずるものであることを、この文書によって充分理解し得るであろう。前段に述べた尊氏の所謂髻の文と併せて考察すべき必要がある。とのことです。