始めに已上とあるのは追而書がないことを示す

因みに八月八日附家康の書状の附箋に、使者が笠の緒に縒り込んで持参したと書いてあるが、恐らく事実に相違があるように思われる。原本は何ら損じていない。この文書は合戦の後に、長政から広家に平穏に送致したか或いは手交わしたものであろう。附箋は当時書いたものでないから、必ずしも文書と同様に信用することができない。尚八月十七日附長政の書状の始めに已上と書いてあるのは、既に記述したように、追而書の終わりに書く例文で、追而書は無いことを断る為に記したものである。とのことです。