青木昆陽先生、登場!

第三章 第四節 第四項 史書地誌の編纂と古文書の活用です。

まずは

江戸幕府史書編纂と古文書の採訪 です。

寛永年間の本朝通鑑、寛文年間の続本朝通鑑がまず挙げられています。編輯総裁であった林春勝の日記、国史館日録をみると、上杉綱憲の実父かの吉良義央は、上杉家伝来の古文書を持参して春勝の一覧に供していたことがわかるそうです。ただし、通鑑編輯のために古文書を蒐集した形跡はないそうです。古文書を蒐集した例は、綱吉が武徳大成記を編輯したときのもので、貞享の書上げといい、頗る規模の大きいものであったそうです。

古文書の採訪としては、吉宗のとき、元文元年駿河の古文書の書上げが作られ、元文五年寛保元年に青木敦書(あつぶみ、昆陽)が武蔵以下七国をめぐったことが挙げられています。七国は、武蔵・甲斐・信濃・相模・伊豆・遠江三河です。いずれもかつての徳川家の領国です。駿河の書上げは判物證文写として、七国のものは諸州古文書として伝わっているとのことです。

貞享の書上げが家康と関係する諸家に向かって広く蒐集したものとすれば、吉宗の調査は徳川家と地理上関係の深かったところの史料を捜索したものと考えることができそうです。

敦書は、価値ある古文書は一時預かり、江戸表で写しをつくって返却したが、そのとき、大切に保存すべきことを諭していたということです。