蔵人所の御笛、青葉の竹

略名の式も行上の位署も、地位の高いものが行うものであった。詔書の覆奏文に於いて地位の高い三公(太政大臣・左右両大臣)は略名の式を執り、大納言は名を自署している。しかし三公の位署を連ねるところ必ずしも略名の式を用いるわけではない。

中世以降の書札礼において、差出書と充書とについて喧しく取り扱っている細かい書礼の一端が、既に移式の文書に表れていると見るべきである。とのことです。

なお、移は官司の間だけではなく、官司から寺院に送る文書にも用いられた。〔二八〕左京職から東大寺に送った移です。下って平安時代になると、移は牒に代わっていった。しかし平安時代に絶無ではなく、島津侯爵家所蔵大隅国臺明寺文書の中に珍しい移の文書が一通伝わっている。大隅国留守所→臺明寺。臺明寺は、蔵人所に御笛の材料青葉の竹を貢上していた。しかしこれの貢納を怠ったため、蔵人所の召物使が、留守所に訴えたので、留守所から寺家にこの移を送って、大宰府の裁定を受けるため、京都に奏聞せんがために、事情を注進するように命じたのである。とのことです。