信長が多武峰の衆徒に充てた天下布武の印判状

以上挙げた印判状は、大体東国地方の大名のもののみであった。然し印判状は、尾張にた興起した織田信長の上洛に依って、その用いた印判状が、従前かかるものの一般に行われていなかった京畿地方に伝播することとなった。〔五二五〕は、天正三年十二月廿八日、信長が大和多武峰の衆徒に充てて、武士の押領した寺領を還附する為に出した印判状で、日下に天下布武の朱印が捺してある。とのことです。