北条氏が専権を振るう様子を古文書から読み解く

この政所下文の様式は、先に順次説いた摂関家等の政所下文のそれを踏襲している。而してこの文書と将軍の地位との関係には、前述したような変遷があったが、更にここに注目すべき事実がある。

その一つは、承久以前の政所の下文は諸種の事務に関して発したけれども、それ以後のものは御家人の所領の襲領安堵、あるいは御家人を諸職に補任する場合に大体限定してきたことである。

他の一つは、家司として署名する者が、承久以前は多くの家司が一列に位署を加えるを例としていたけれども、承久以後は執権と連署との位置にある北条氏のものに追々限られ、将軍頼嗣以後は全く執権、連署の二人に限られるに至ったことである。すなわち〔一〇七〕に挙げた弘安十一(正応元)年四月廿三日附のものは、その一例である。

かくして将軍家から発する公の文書が、すべて北条氏の人々の署判のみによって発せらるるようになった。したがって将軍家の政所下文の特色が失われるに至った。要するにかような現象は、北条氏が鎌倉幕府において次第に専権を振るい、ついに実権を襲断するに至った政治上の動向を、最も明確に示すものといいうる。古文書は文字の上に表現されていないかような現象によっても、我々に精確な史実を教えるものである。とのことです。

佐藤進一『古文書学入門』で、文字だけでなく、文書の機能の歴史を明らかにすることが重要だと述べているように、相田二郎も文字だけでないものを古文書から読み取ろうとしている。