信長の上洛によって東国の印判状が西国に伝播

然し信長がかような印を用いるのに至ったのは、三河以東諸国大名が盛んに印を用いていた影響に依るものと思われる。信長は翌永禄十一年九月、将軍足利義昭を奉じて上洛したから、東国の西端から起こった信長の印判状が、京都を中心にして近畿地方にも及ぶこととなった。信長の上洛に依って、東国地方諸大名の間に限って盛んに用いられていた印判状が広く西方に伝播するに至ったのである。ここに信長の印判状は、古文書研究上重要な意義を持っている。とのことです。