鎌倉時代から折封、捻封はあったと考えられる

鎌倉時代に遡ると、かかる料紙のものが少なくして正確に封式を判定するに非常に困難を感じる。然し兎に角鎌倉時代のものから封紙に折封、捻封を用いたもののあったことは明らかに考え得るのである。唯それを何れが折封、何れが捻封と指示することが殆ど不可…

室町時代に堅い鳥子紙を用いていると折封か捻封か判然とする

表装をせず単独に伝えていても、長い年月を経過した為に、その折筋が折封のままか、更に之を捻って折ったものか頗るその判断に苦しむ形態となっているものもある。之が室町時代に至ると、堅い鳥子紙を料紙に用いたものがあって、今日に至るも、折封か捻封か…

表装されると折封であったか捻封であったか判定できないものが多い

次いで平安時代の消息書状には、之を窺い知る資料がない。降って鎌倉時代の文書から之が現れて来ている。然るに、之を巻帖幅物に装幀した古文書は、大抵上下左右を表装に都合のよいように切ってあり、よし切らないまでももとの折目を伸ばして、之が折封であ…

封紙は奈良時代の啓状の中にも既にみられる

従って礼紙は礼紙、単に包む為の紙は包紙、封をする為の紙は封紙と称したほうが正確である。依ってここでは封をする為に用いる紙を封紙と称する。扨てこの封紙を用いた文書は、何時頃からのものが伝わっているかと云うに、既に述べた如く、奈良時代の啓状の…

中世の書札礼で上巻、又立紙という

右に述べた封式に用いる包紙、之を中世の書札礼で、上巻(うはまき)と云い、又立紙(たてがみ)とも云う。立紙とは前述の如く本紙礼紙が横に用いてあるに対して、之は竪に用いたからである。又之を懸紙とも云うが、懸紙とは封をするにせよ何をするにせよ、…

封じ目は当時の言葉で墨引という

この四様の中、〔一〕の式が最も鄭重で、次第に薄い書礼となっている。〔三〕の式にては、中味は折り畳んだままのもの計りで、之に切封を加えたものは無い。之は〔四〕の式よりは鄭重であるが、〔三〕の式と略同じもののようである。因みに封じ目は、当時の…

切封で捻封と折封、封無しで捻封と折封の四様

先に述べた捻文は、この第三の封式が本紙そのものに加えられて、下部を折りもせず又捻もせぬ簡略に整えたものを云うのである。第一第二の封式のときは、中に包んだ本紙、礼紙は竪に折り畳んだままで、前に述べた切封を加えない式と、之に切封を加える式との…

二種類の捻封

次に上下余った部分を右と同様に折り、その折って上下にぶらぶらになったところを斜十文字に二重に捻り、その折目から捻り筋に紙縒をかけて結ぶのである。これを捻封と呼ぶ。次に右の如く捻封にした場合、上部の捻って結んだ表側に、切封の如く封じ目を加え…

三つある方式のうち一つ目、折封

その方法に大体三様ある。包んだ紙は竪にして用いたから、本紙礼紙よりも竪が長いことになっている。そこでこの長い為に上下に余ったところが出る。上下その余った部分を包んだ裏目に折り、その折目に紙縒をかけて結ぶのは一つの式である。之を折封と呼ぶ。…

包紙に封を加える封式

本紙に礼紙を合わせて封を加える式とは異なって、本紙が一枚であり、又本紙と礼紙との二枚であっても、それに単に切封の封じ目を加えるか、若しくは之を加えずして、さらにその上に料紙を本紙礼紙が横にして用いてあるのと異なって、立てて即ち竪にして用い…

鎌倉時代に見える捻封

之は本紙一枚を左端から巻いて右に巻き止めて、その巻き畳んだ上部を、先の日蓮の書状の如く捻って封を加えたものである。之は本紙一枚の場合の捻封である。かような実例に依って、鎌倉時代の中期に、既に捻封の行われていたことは明らかである。かように本…

金澤文庫に伝わる長井貞秀の書状の封式

巻き畳んだ上部を捻り折ってその上に封じめ〆を書いたもので、之を捻封と云う。鎌倉時代に於ける捻封の早い例として古文書学上重ずべきものである。更に金澤文庫に伝わる長井貞秀と云う人から明忍坊劔阿并戒圓房に送った書状が、その封の上書の書き方に就い…

鎌倉時代中期から末期にかけて封式のわかる資料が現れる

鎌倉時代に入っては如何と云うに、之も初期に就いては明らかにすべき資料を欠いている。封式のわかる書状の追々現れてくるのは中期から末期にかけてからである。この時期の文書である日蓮の書状に、本紙と礼紙とを背合わせにして巻き、その巻き表に封を加え…

奈良時代に続いて平安時代にも行われていた切封

この文書は封式に関する貴重な資料であって、之に依って、平安時代の末期に、矢張切封の行われていたことを知ることができる。恐らくこれは先に述べた奈良時代の切封の続きであって、奈良時代に続いて平安時代を通じて切封の行われていたことを示すものであ…

封式のわかる平宗盛の消息

それに続く平安時代の消息に就いては、その封式が如何なるものであったか、実物に就いて徴すべき資料を欠いている。唯同時代の末期のものとして、平宗盛の消息があり、之が本紙と礼紙との二枚からなり、礼紙を本紙と背合わせにして、左端から右に巻き止め、…

奈良時代から切封の式があった

前段に記述した髻の中に文書を込め、或いは料紙を切断して送致する手段は、勿論文書を送致する正常な手段とは大いに相違している。送致の手段としては、先づ文書を封することである。之に就いて切封の式と申すもののあったことは、既に奈良時代の啓状の項で…

文書を史料として扱ううえで最も重要なことは封式である

四 書札様文書の封式 文書は差出者から受取者へと渡すものであるから、この送致に当たり、差出者と受取者との居所の関係に依り、そこに種々の手段が講ぜられている。その方法は種々あるが、文書を史料として取り扱う上に最も重要なことは、その封式である。…

武家では書札様文書が公文書化した

要するに武家に於いては、公式令以来の公文書の如き手続を要する文書が無く、多く書札様の文書を以って、各種要件を通達すべき公文書としていたのである。従って書式は書札様の文書そのままでありながら、それがそのまま公の意味を多分に発揮するところに、…

直状を右筆が書く例式が始まった

之は公家に於いて始まったことであったが、この書式の文書が武家幕府の文書にも入って、その現象は更に著しいものとなった。殊に直状の形式を具えた文書に於いて著しかった。書式は当然書札様の私様のものであっても、その作成執筆の上に自然種々の手順をと…

平安時代末期頃から書札様の文書が公文書の扱いとなった

以上記述した如く武家の文書の中に於いて、当然自筆にて書く可くして右筆を用うるものの現れて来たのは、一般的に見て、武家の人々が文筆の素養に欠けるところがあったにも依るであろう。元来書札様の形式をとった文書が、平安時代の末期頃から次第に公文書…

戦国時代、書札様文書を自筆することは特別の鄭重さをあらわすようになった

ここに於いて自筆と右筆との御内書の間に、儀礼上厚薄の差等が考えられていた。この傾向は更に戦国時代に於ける武将の間にも及び、諸国の守護大名が、書札様の文書を自筆で染めることは、私的の文書以外の場合に於いては、極めて特異の儀礼と考えられるよう…

鎌倉時代から自筆ならざる御内書が多かった

かように武家の人々の直状は、自筆で書かないのあが普通であった。室町将軍家に於いて、将軍が直々に出す書札様の文書、之を御内書と呼んだ。之に就いても既に述べた如く、元来之は自筆で書くべきものであったが、鎌倉時代からの自筆ならざる書札様文書の書…

三條西実隆は公家の慣例から重源宛直状を頼朝の真筆と誤認した

源頼朝が文治三年十月九日附で、東大寺大勧進重源に送った書状が、今同寺に伝わっている。それには日下に頼朝の花押がある、即ち直状である。その奥に天文四年三條西実隆が奥書を加えて、頼朝の重源に遺す真筆であると証明しているが、これは今仔細に研究す…

公家と武家で截然たる区別のあった書札様文書

兼良がかかることを詳しく書いているさいのは、この書礼が、元来武家のものであって、公家の方には通用していなかったからと考えられる。この事実に依って、直状と奉書即ち書札様の文書に於ける執筆者の規式に、公家と武家との間に截然たる区別のあったこと…

武家御教書に倣った一条兼良の奉書

即ち従来は家司の奉書であったが、兼良から武家の御判の御教書に倣って、全文を自から書かず、花押等から成る差出所のみを自から書く形式の文書として之を出したと説明しているのである。之は家司の御教書を直状に代えた事実を示す計りで無く、人に仰せて書…

一条兼良の代に武家の御判御教書に倣った

之は前段に述べた御判御教書の一種類で、全文右筆が書き、将軍が花押のみを自から加えるものであった。当時この御教書即ち公帖に副えて、一条家からも御教書を送った。それは今迄は司の奉書、即ち家司の奉じた御教書であったが、この兼良の代に至っては、武…

東福寺の長老補任の書

室町時代の中頃、かの一条兼良の表した桃花蘂葉の中に、東福寺の条項があり、そこに同寺長老補任文書の形式に関することが見えている。それには次のように書いてある。長老補任の書は、武家から代々御教書を出していた。即ち之が前段に於いて既に説いた住持…

公家では自筆でない直状、奉者の書かない奉書は存在しなかった

而してこの奉書は奉ずる人が必ず自筆を以て書いたのである。直状であれば必ず自筆にて書き、それまでに及ばぬ時は奉書を書かしめ、その奉書は、奉者が自筆にて書く形式になっていた。自筆にあらざる直状、奉者の執筆しない奉書は実に存在しなかったのである…

公家の本人出すべき書札様文書は本人自筆

公家の人々に於いては、直接本人が出すべき書札様の文書は必ず本人が筆を執って認めたのである。然し之は至極の鄭重、或いは親愛さを表した礼儀であって、之れ迄の儀礼に及ぶを要しないこともあったこと勿論でえある。かかる場合には、即ち側近の奉仕者をし…

公家にはない形式は書札様でも私的意義がない武家の文書

将軍家の御判の御教書、御内書、さては守護大名の書下、判物証文類がこれに当たる。此等の文書は、既に前段に於いて、その形様を例示した如く、形式の上から云えば、直接本人が筆を執るべきものであった。然るに全く自筆を執らず、全文を右筆に書かせて、花…