三條西実隆は公家の慣例から重源宛直状を頼朝の真筆と誤認した

源頼朝が文治三年十月九日附で、東大寺大勧進重源に送った書状が、今同寺に伝わっている。それには日下に頼朝の花押がある、即ち直状である。その奥に天文四年三條西実隆が奥書を加えて、頼朝の重源に遺す真筆であると証明しているが、これは今仔細に研究すると、頼朝の右筆がその全文を書いた文書で、頼朝の自筆とは思われぬものである。実隆は、公家の書礼に慣れていた為であろうか、之を頼朝の真筆と鑑識したが、公家の書礼から申せば、それは当然のことであった。然し事実は既に頼朝の頃から、自筆にて書かない直状が、武家の間には行われていたのである。とのことです。