切封の登場

更に先に第一一式として例示した啓は、本紙を包むに別の封紙を用いており、その中に本紙を巻込んで、封紙の上に上所謹上と、充名東寺、脇附「前越殿邊」と書き表し、封と封じ目を加えたのである。之は本紙と封紙とが、同形の紙で、両紙を背合わせにして巻いたものか、或いは前述のごとき処置をしたものか明らかでない。然し兎に角封を加えたところが別紙となっているものである。第七式に例示したものは、如何に処置したか明らかでないが、本文と封の文とが倒に書いてある。本紙は巻き込んで隠れるから、かように倒になっていても差支えなかったわけである。然しかような式は、後世には存在していない。要するに、当時後世の文書に就いて切封と云うものが行われていたことは明らかである。とのことです。