伝奏蔵人頭廣橋兼秀の奉書

次に〔三〇四〕と〔三〇五〕とは、同じ形式の奉書、〔三〇五〕は享禄三年十月二日、立入幸夜叉丸をして禁裏御倉職を勤めしむる為に出した奉書。伝奏蔵人頭廣橋兼秀が、勅旨を承け、更にその家の諸大夫をしてこの奉書を出さしめたのである。とのことです。