延暦十七年文室長谷外三名連署の願文

なお悲母が生前果たさんとした造仏写経料田施入の遺志に依り、その没後子息等がそれを果たした時の供養願文に〔七一一〕の如きがある。之は延暦十七年八月廿六日、文室長谷外三名連署の願文で、東南院文書の中に伝わるところから、恐らく造仏写経を行い、之を東大寺に安置した時のものであろう。今日伝わるこの種願文の正門としては、恐らく最も古いものと思われる。とのことです。