書止め「何々也」は「如件」よりも鄭重さを欠いていること、これまで述べた文書と同様であるが、又反対に「如件」よりも鄭重さを表した書き方のものもある。〔五五五〕に挙げたのはその一例で、天文廿四(弘治元)年七月十九日、武田晴信が信州川中島に於ける内田監物と云う者の戦功に対して出した感状である。実名の下に実名の朱印が捺してある。又〔五五六〕は同じ例で、天正十七年十一月四日、前田利家が能登一宮大宮司に、その所領安堵のために出した印判状で、実名の下に楕円形重郭、「利家」の二字を縦に書いて印文とした朱印が捺してある。とのことです。