主の分からぬ頸を以て己の戦功を申し立てることを拾い首といい武士の恥辱とされた

戦国時代に拾い首と云い、主のわからぬ頸を拾って来て、まことしやかに己の戦功に申し立てることは、武士の恥辱とされていた。かの朝鮮征伐の時、我が将士が多数の敵の鼻を削いで秀吉の許に送ったことは、諸家の古文書の中に鼻数請取状のあることによって知られている。この鼻は動もすると生きながら鼻を削いだように考えられているが、これは決して左様なものではない。尋常に太刀討をして討捕った頸を持参して、大将の見参に入れるその頸の代わりに鼻を以てしたものと解すべきである。なお軍忠状には手負と云い、この文書に見えるように、右足の股を切破られたという負傷、或いは討死した事等をも書くのである。とのことです。