宗麟に次いでこの長政父子を始め細川忠興、その子忠利、立花宗茂等何れもローマ字の印を用いたが、宗麟のものが形様最も立派で、他のものは概して小形のものであった。ローマ字の印は小形であることが一つの特色とすることができる。宗麟の子義統も印を用いた事は、前に少し説いておいたが、それは宗麟の何レの印よりも大きく遥かに堂々たるものであったが、印文はローマ字を用いず、切利支丹に関係のないもので、ローマ字の印の中にあって異彩を放っている。なおローマ字の印は、当時は南蛮字の印と申していた。ローマ字の印は近頃の称呼である。とのことです。