次に一の合戦に於ける戦功を詳記した例を挙げるに、〔六九二〕は、正慶二(元弘三)年潤二月廿七日、安芸三入庄地頭熊谷直経の合戦手負注文である。同月廿六日河内千早城攻めに従軍し、大手の北堀に於ける戦功を注記せるもの、手負の箇所が詳に表しており、そこに勘即ちⅠを加えたのは、奉行が疵を実検した印しである。之と同時にその傍に、負傷の程度が記入してある。ここに「深」と二つ書いてある。重傷の由を認めた意味である。なお袖に名判を加えているのは、この奉行の証判と云うべきものと思われる。とのことです。
次に一の合戦に於ける戦功を詳記した例を挙げるに、〔六九二〕は、正慶二(元弘三)年潤二月廿七日、安芸三入庄地頭熊谷直経の合戦手負注文である。同月廿六日河内千早城攻めに従軍し、大手の北堀に於ける戦功を注記せるもの、手負の箇所が詳に表しており、そこに勘即ちⅠを加えたのは、奉行が疵を実検した印しである。之と同時にその傍に、負傷の程度が記入してある。ここに「深」と二つ書いてある。重傷の由を認めた意味である。なお袖に名判を加えているのは、この奉行の証判と云うべきものと思われる。とのことです。